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マツコ・デラックスの生い立ち、どんな子供だったのか?中村うさぎに救われたこととは?

マツコ

毎週テレビで見かけない日がないほどの人気コメンテーターのマツコ・デラックスさんですが、

どんな人生の歩みがあったのか?この記事では、このような内容を詳しく説明します。

  • マツコ・デラックスの生い立ち
  • 実家は貧乏?どんな子供だった?
  • 中村うさぎに救われたとは…。
  • 木村拓哉と同級生ってほんと?

マツコ・デラックスの生い立ち

本名松井貴博(まつい たかひろ)
生年月日1972年10月26日(49歳)
出身地千葉県千葉市稲毛区
血液型A型
身長178cm~180cm
事務所ナチュラルエイト

実家は、千葉県の中央区の北部にある、千葉県千葉市稲毛区です。

マツコ・デラックスさんは一人っ子なんです。

父親1926年生まれ(41歳)母親1934年生まれ(39歳)のときに、マツコ・デラックスさんが誕生しました。

父親は建設会社で働いていました。母親はマツコ・デラックスさんとそっくりだそうです。

今でこそ、晩婚、高齢出産が増えましたが、マツコデラックスさんが生まれた頃は、まだ珍しかったんじゃないでしょうか。

実家は貧乏だったのか?

「言葉はなくとも感じとれ」

「壊れたら買う」が家のモットー

豊かではないけど、貧しくもない、慎ましく、無駄使いはせずに暮らす一家でした。

快適に、便利に、豊かに、生活しようという考えがこれっぽっちもない両親でした。

マツコさんの家だけ、時空が世間よりちょっとだけゆがんでいたようです。

  • エアコンやCDプレイヤーなどの電化製品も他の家よりも5年ぐらいは遅れて買っていた。
  • 掃除機や洗濯機なども、町の電気屋さんで直せるうちは使い、色褪せるまで使っていた。

幼少期のこんな経験が「庶民感覚」を今でも持ち続けていて、みんなが共感できるコメントができるのだと思います。

幼少期

幼少期は、ゲームやファミコンをして夢中になっている子供たちを、子ども扱いするような子でした。

ぽこきち

同級生と遊んでも楽しくない、冷めた子供でした

6歳で同性愛を自認

6歳のときは同姓のいとこに惹かれてたそうです!

当時からポッチャリ体型で、自分が女性を好きになれないことも既に気づいていたのです。

小学校1年のころ、女の子に興味がなく、自分がゲイであると自覚がありました。

気になる男子にちょっかいを出しては、突き飛ばして怪我をさせてしまった時もありました。

不器用な愛情表現をしていていました。

小学校3年生ごろからお母さんの口紅などをつけ女装を始めました

中学・高校には、恋愛対象は、完全に男の子でした。

高校3年生には本格的に女装していた。でも、性同一性障害ではない。

女性になりたいわけでもないし、男性の体が嫌というわけでもない。

そんな複雑な気持ちに思い悩んでいた学生時代だった。

ぽこきち

マツコ・デラックスさんは、だんだんと悩んでも仕方ないと思うようになったそうです。

高校を卒業後は美容の専門学校へ進学

18歳、東京マックス美容専門学校に進学し、美容師の免許を取得しました。

20歳、インターン美容師として見習いをするが、何か違うと思いすぐに退職します。

すっぴんはこんな感じです。

ぽこきち

せっかく美容師の資格取ったのに…。もったいないな。

卒業後はゲイ雑誌『Badi』の編集者として5年ほど働いていた。

テレビ出演が増えてきたゲイのアクティビスト(活動家)に刺激を受け、ゲイ雑誌に興味を持ちました。

1994年11月に創刊した、代表的なゲイ雑誌の「Badi(バディ)」の編集者として働き、松風と名乗りました。

28歳、色々と人間関係に悩んだ末に、退職します

編集者を辞めた後は2年ほど実家で引きこもり生活を送る

それからは実家で2年ほど引きこもってしまいます。

  • 同級生の個人情報を集めて年収・既婚などから、幸せランキングを作る。
  • 幸せランキング最下位にいるのが自分だと思い、落ち込む毎日。
  • 雨戸は閉めっぱなしで、トイレ以外はベッドの上での生活。

29歳、両親が引っ越すことになり、「あなたの部屋はないわよ」と母に言われ、

実家を追い出されてしまいます。

お金がなくて、消費者金融で借金をしたり、ボロアパートで暮らしていました。

生活するためにドラァグクィーンとしてクラブのショーに出演していました。

マツコデラックス」の名前の由来

女性ぽいので松井の松に子をつけ「マツコ」になり、ゴージャスな感じの「デラックス」をプラスして「マツコデラックス」になる。

マツコ」には愛着があるが、「デラックス」には何の愛着もないと本人は話している。

小説家・エッセイストの中村うさぎから対談相手に抜擢される

編集者時代に知り合った中村うさぎさんから、ある日連絡がきました。

2001年に発売された中村うさぎさんの対談集『人生張ってます』(小学館刊)の対談相手に、

無名のマツコデラックスさんを抜擢したのです。

中村うさぎさんから「アンタは書くべき人間だ」と言われたのがきっかけで、コラムニストとしてデビューします。

流れに身を任せ流れ着いた先で本気を出せばいい」と引き受けることにしたのです。

いまのマツコがいるのは中村うさぎのおかげ

中村うさぎさんとの出会いが、ターニングポイントとなり、ついに表舞台に引っ張りだされました。

スリーサイズ140cmの巨漢で女装家という唯一無二の存在感で、週刊誌の連載や、タレント業も開始したのです。

5時に夢中という番組がブレイクのきっかけ

5時に夢中
画像引用Twitter

2005年、33歳から、東京ローカル情報番組の生放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)のレギュラーとして出演。

おもなバラエティ番組

  • 5時に夢中(TOKYO MX)
  • 月曜から夜更かし(日テレ)
  • 週刊さんまとマツコ(TBS)
  • マツコ会議(日テレ)
  • マツコ&有吉かりそめ天国(テレビ朝日)           

書くことよりも生放送のコメント

その場で一瞬で口から言葉を選んで話すことが、なんだかゾクゾクとすることに気が付きました。

とっさに自分で感じたことを言葉にすることが、書くよりも気持ちを的確に表現していると思っています。

厳しかった両親に感謝している

引きこもり生活中に、「あなたの部屋はないのよ」と突き放されたり、小さい頃から厳しく躾けられたマツコ・デラックスさんでした。その両親には、とても感謝しているそうです。

母が亡くなってから、タガが外れてしまったようにゴミ屋敷寸前になってしまったのです。

いつ誰を自宅に招いても恥ずかしくないように、お掃除して綺麗にしていたのに、片付ける気力も起こらないほど部屋が物で溢れかえっているんだそうです。

木村拓哉と1年間同級生?

ぽこきち

どいつがマツコになったのか?わからない。」と木村拓哉さんは言ってます。

高校は千葉市花見川区にある犢橋高校(こてはしこうこう)で,

1年間だけ木村拓哉さんと同級生でした。

芸能界に入ってから、マツコ・デラックスと話ししたときのエピソードです。

木村拓哉さんと同級生はホントなんですね。

女子の気持ちを代弁してるのが人気のひとつ

ひと昔前は、男は外で稼ぐ女は家を守るという常識であふれかえっていましたが、今は必ずしもそうではありませんね。

夫婦共働き当たり前、女性管理職も多方面で活躍するようになってきましたが、働く女性に対する世間の風はまだまだ冷たいのも事実・・・そんななか、マツコさんが放つひと言は、たくさんの女性から支持されています

  • 今の世の中、男の世界。結局男の世界に合わせられないと、平等にはならない
  • 女の人が無理せず”男の人になろう”として、男と同じ権利が与えられる世の中にならないと、本当の平等じゃない
  • 男って女が美人かブスで分けようとする。女の子が美しなろうって状況はこの男の目線がきっかけ。女にばっかりいつまでも美しいを求めて、図々しいわ
  • 人生の起動修正なんていつでも出来るの!何が起こるか分からないのよ、人生って・・・今はやっている事を完結させることを何より考えてみて!
ぽこきち

男性と女性の両面を見られるからこそ言えることがあるよね。

まとめ

  • マツコ・デラックスは、高齢出産で生まれた一人っ子。
  • 実家は貧乏とまでは言えないが、節約思考の家庭。女装がしたくて男の子のことが好きな子供だった。
  • 中村うさぎに見出されたことで、テレビ業界にでることができた。引きこもり生活から救われた。
  • 木村拓哉と同級生ってほんとだった。

人と違うという自覚があるからこそ見えてくるものもあるんでしょうね。

コメンテーターとしての発言は、すごくまっとうなことを言われているし、人の気持ちを汲み取ることができるので

こんなに人気があるんだと思います。これからも応援したいですね。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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