天海祐希の宝塚時代の伝説3選!最速6年半でトップスター!退団のわけは?女優の天海祐希さん、舞台・映画・ドラマなどで主演クラスを演じる一方で、声優やバラエティー番組などもチャレンジしてマルチな活躍をしています。
天海さんがかつて宝塚歌劇団で男役トップスターを務めていたことを知る人も多いと思いますが、当時の人気や話題性は同期の中でも圧倒的でした。
そんな天海祐希さんの宝塚時代のエピソードをご紹介します。
- 天海祐希の宝塚時代の画像と動画
- 宝塚を目指したきっかけ
- トップスターになってわずか2年で退団の理由
- 宝塚時代の伝説やエピソード
天海祐希の宝塚時代
本名 | 中野 祐里 |
生年月日 | 1967年8月8日 |
出身地 | 東京都台東区東上野 |
血液型 | O型 |
身長 | 171cm |
学歴 | 台東区立御徒町中学校 →菊華高等学校(現・杉並学院高等学校) 中退 →宝塚音楽学校 入学 |
所属事務所 | 研音 |
主な作品 | 舞台 ※宝塚時代 『ロミオとジュリエット』『ベルサイユのばら -オスカル編』 『風と共に去りぬ』『ミー・アンド・マイガール』など ※宝塚退団後 『オケピ!』『蒼の乱』など ドラマ 『離婚弁護士』『女王の教室』『トップキャスター』『BOSS』 『緊急取調室』『トップナイフ-天才脳外科医の条件-』など 映画 『狗神』 『千年の恋 ひかる源氏物語』『カイジ 人生逆転ゲーム』 『最高の人生の見つけ方』『老後の資金がありません!』など 劇場アニメ 『崖の上のポニョ』『名探偵コナン 純黒の悪夢』『メアリと魔女の花』 |
天海祐希の宝塚時代はイケメン
こちらは天海祐希さんが宝塚時代に男役を演じていたときの画像です。
天海さんは1987年に宝塚歌劇団に入団して月組に配属され、1993年に月組の男役トップスターに就任となりました。
入団してわずか6年半でトップスターになるという快挙を成し遂げたのです。
宝塚ブームが来てるので、宝塚音楽学校を首席卒業、お母様が学校関係者に「よくぞ生んでくださいました」と感謝され、入団1年目にして主役を射止め、7年目にしてトップに登り詰めたのち、その2年後には風のように退団…という異例尽くしのレジェンドスター・天海祐希姐さんの現役時代もどうぞ。 pic.twitter.com/w48iN48emm
— 茉莉花べにこ (@beniko71) July 26, 2019
宝塚時代の天海さんって、めちゃくちゃイケメンだね!
宝塚を目指すきっかけは中学担任からの勧めで、スカウトではない
天海祐希さんは中学2年の時に宝塚ファンだった担任から勧められたことがきっかけで、宝塚を目指しました。
中学は台東区立御徒町中学校で演劇部に所属していましたが、女子部員が多いため長身の天海さんは男役を演じることが多かったようです。
この頃から宝塚男役の素質が充分あったのですね。
2018年8月13日放送のフジテレビ系『石橋貴明のたいむとんねる』に出演したとき、天海さんが入団の経緯について語っていました。
番組後半には天海さんが宝塚に入るきっかけについても語りました。
天海さん「(宝塚には)中学の先生に勧められて。そうか、宝塚に行ったら踊りも全部教えてもらえるんだ。『ウエスト・サイド物語』を見て、トニーの役をやってマリアの歌を歌いたいと思っていたんです。あまりにもリチャード・ベイマーさんの歌う♪マリア~、って顔が素晴らしく素敵で、こんなふうに歌えたらどんなに素敵かって」
引用元:フジテレビ
高校は東京杉並区にある菊華高等学校(現在は杉並学院高等学校)に入学。
宝塚音楽学校受験を目標にしていたため、学校とは別に大滝愛子バレエ・アートスクールにも通っていました。
そして1985年の高校2年で宝塚音楽学校を受験。
宝塚音楽学校の入試は定員40名に対し1000人近くが受験する非常に狭き門で知られています。
宝塚を夢見る少女たちが何度もチャレンジし、途中で挫折することも珍しくありません。
そんななか天海祐希さんは初めての受験で、しかもトップ合格を勝ち取ったのです。
2021年10月22日深夜放送のABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』に、天海さんがゲスト出演したとき、宝塚音楽学校に入学した当時のことを話してくれました。
天海祐希 宝塚音楽学校トップ入学も 校長先生に呼ばれ…「なんか悪いことしただろうかと」― スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://t.co/rT8f5gcGi9
— 福はうち (@Pk42t16x62jAJTr) October 25, 2021
ちなみに天海祐希さんは「スカウトされた」という噂もあります。
その出どころが『アサ芸プラス』の2018年8月18日付記事でした。
天海祐希トップ出世の陰で、毛嫌いしていた「宝塚ファン」
こちらの記事は宝塚歌劇団関係者の話として掲載されていますが、匿名で真偽ははっきりしません。
宝塚音楽学校は厳しい試験を受けて合格した者のみ入学を許される実力主義の学校なので、特定の人物をスカウトすることは考えにくいですね。
続)天海祐希が宝塚音楽学校を受験したとき面接官から「お母様、よくぞ産んでくださった!」と感嘆されたのは大変有名な話ですが、あれだって「入学前からすでにして完璧だった」という意味じゃなくて「我々にとってものすごく磨きがいのある原石が来たぞ!」という「作り手」の喜びの声だったわけで。
— 岡田育🍥『我は、おばさん』 (@okadaic) January 12, 2021
天海さんは宝塚の中でも逸材だったんだね。
宝塚歌劇団73期生、同期もトップスターが多い
こちらの画像は左から絵麻緒ゆうさん、天海祐希さん、匠ひびきさん、3人は73期生の同期です。
天海祐希さんは宝塚音楽学校を卒業後、1987年に73期生として宝塚歌劇団に入団しました。
73期生は全42名ですが、以下はおもなメンバーです。
実力主義の宝塚歌劇団において一期で4人ものトップスターを輩出することは珍しく、73期生はまさに当たり年だったといえます。
- 天海祐希 :元月組男役トップスター
- 匠ひびき :元花組男役トップスター
- 絵麻緒ゆう :元雪組男役トップスター(現:えまおゆう)
- 姿月あさと:元宙組男役トップスター
- 葛城七穂 :元雪組男役
- 青山雪菜 :元星組娘役スター
- 朝吹南 :元月組娘役
- 苑ななみ :元月組娘役(現:中島かおり)
- 五条まい :元雪組娘役
TV(バラエティorドラマ)でも、雑誌でも、なんでもいいから共演して、一つの作品作って欲しいな💓
— ˗ˏˋ ヒトリゴト ˎˊ˗ (@Yuiri25_Nakano) October 12, 2017
もし、実現したら最高×バンザイでやばいことなりそう〜www#共感したらRT #RTで当事者届けたい #宝塚歌劇団73期 #天海祐希 #姿月あさと #えまおゆう pic.twitter.com/tlggAQTccH
73期生は結束力が固く、宝塚時代の天海さんは「信頼できるのは同期だけ」と言っているんだよね。
相手役は麻乃佳世
天海祐希さんの相手を務めたのは、月組の娘役トップスター・麻乃佳世さんです。
麻乃さんはもともと涼風真世さんの相手役でしたが、涼風さん退団後トップスターに就任した天海祐希さんの相手役として引き続き務めることになります。
そして1995年に天海さんの退団に合わせて麻乃さんも退団しました。
天海祐希×麻乃佳世コンビほんと好き…
— ほ の か (@H3cCl) July 24, 2018
13cm差尊い…
麻乃佳世ちゃんの永遠の少女感と華奢さがリアルプリンセスだし天海さんはもうま〜じで王子様…そりゃ伝説になるわ…
トップコンビって9とか5とかしか身長差無いのが普通っぽいけどこんくらいガッツリある方が私は好きだ… pic.twitter.com/4v2IInvYNj
天海祐希と麻乃佳世という当時の月組トップコンビが天王はるかセーラーウラヌスと海王みちるネプチューンのモデルになった話、不定期に誰かが蒸し返してくれるの本当に好き https://t.co/2tswZS22h2 pic.twitter.com/N76kdTPcyu
— ピ (@bellerapyyys) July 15, 2021
この身長差!本物の男女カップルに見えるね。
宝塚時代の動画一覧
ここで天海祐希さんの宝塚時代の動画を紹介しましょう。
まずは『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役の天海祐希さんです。
4:00からの荒々しい演技が圧巻ですね。
次に『ハードボイルド・エッグ』での天海祐希さんの歌声です。
伸びやかな歌声で、麻乃佳世さんとのハモリも素敵ですね。
こちらは天海祐希さんと娘役の麻乃佳世さんとの練習風景です。
2人の身長差もペアとして申し分ないですし、見つめ合う表情やステップなどの息もピッタリです。
宝塚時代の天海さんはアドリブもすごい!と話題になりました。
伝説となったアドリブシーンが、入団一年目で主演を務めた『ミー・アンド・マイガール』です。
電話機が壊れるアクシデントのあとは天海さんの独壇場で芝居が進み、観客も大爆笑!
天海祐希さんの柔軟さと度胸を表すシーンですね。
『あ”ーーーーあ”ーーー
— Aya (@YukiA_seohyung8) June 15, 2018
いったーい、いったーーーい、いったーーい、なんか知らないけど向こうまで飛んでっちゃったぁすいません』
のシーン大好き😂😂
アドリブ最高😂コミカルな感じかと思えばいきなりヨシコちゃんの脇の下から手入れてバックハグするし最高かよ#天海祐希 #麻乃佳世 #ミーマイ pic.twitter.com/2CxXUUJjf5
宝塚の劇ってノーミスでお堅いイメージだったけどトラブルもあるんだね。
それにしても笑いに持って行く天海さんすごい!
トップ在任わずか2年で退団
天海祐希さんはトップスター就任からわずか2年で退団することになりました。
早すぎる退団にさまざまな憶測が飛びましたが、中でも多かった噂が「いじめ」です。
いじめについて退団直後は一切言及しなかった天海さん。
2021年10月27日放送のTBS系『news23』でインタビューを受けたとき、メインキャスターの小川彩佳さんから「天海さんもいじめられた経験が?」と質問され、「ありますよ。もちろん。小学校の時もそうですし、宝塚時代も」と初めて語られました。
宝塚の先輩を追い抜いたスピード出世だったため、天海さんは歌劇団の中ではかなり気を使っていたとのこと。
しかしそれでも劇団の中や先輩役者のファンから、嫌がらせを受けていたこともあったそうです。
また天海さんはマナーを逸脱した一部のファンには厳しく対応したり22時以降の出待ちは禁止するなど、ファンへの塩対応で有名でした。
宝塚時代の天海祐希さんは、まわりが思うほど順風ではなく苦労の方が多かったと推測できます。
「信頼できるのは同期だけ」と言っていた天海さんの気持ちもわかる気がする。
退団後20年以上も経ってから初めて宝塚時代のいじめに触れたわけですが、いじめが退団の直接的な理由ではないようです。
天海さんが女優を目指したきっかけは、幼い頃に見た映画『ウエスト・サイド物語』を演じたいと思ったことが始まりで、もともと舞台よりも映像の方に興味がありました。
実際、退団直後の仕事のオファーはミュージカルなどの舞台ばかりでしたが、宝塚のイメージを払拭するために舞台仕事は全て断ったそうです。
あえて映像にこだわり続けた中、映画デビューは日米合作映画『クリスマス黙示録』への出演でした。
そういった映像へのあこがれやこだわりがあったから、舞台が中心だった宝塚を退団する理由だったのかもしれません。
天海祐希さんの退団理由は、さまざまな要因が重なっての退団だったといえます。
徹子の部屋に天海祐希さんが出演された時に徹子さんから「どうして2年で宝塚のトップスターを辞めちゃったの?」と聞かれて、宝塚を退団された理由を話していらっしゃいました。https://t.co/46YXFBADX1
— くらら (@kurara1) April 24, 2019
クリスマスといえば、私の場合これ、多島斗志之『クリスマス黙示録』。
— 街野優森 (@Yousing_Machino) December 24, 2021
映画公開版表紙の天海祐希さんが初々しいでしょ。 pic.twitter.com/UyRHX3JYw5
退団公演のラストソングは『風になりたい』
天海祐希さんが退団公演で歌ったラストソングが『風になりたい』でした。
こちらの画像は退団公演のVHSビデオですが、「<第二部>さよならショー」の中に『風になりたい』が入っていますね。
残念ながら退団公演のDVDはないようです。
この曲はTHE BOOMというバンドの楽曲ですが、天海さんの宝塚最後の曲としてファンの間では語り継がれています。
また2012年に放送された天海さん主演のドラマ『カエルの王女さま』でも、天海さんが再び歌ったことで話題になりました。
これが真琴つばささんが仰ってた、退団の時の “風になりたい”。
— Yuna (@dreamer082996) November 26, 2019
本当に泣けるー。#天海祐希 #月組 #トップスター #退団公演 #MeandMyGirl #真琴つばさ #姿月あさと #風になりたい pic.twitter.com/ltT2ZiWnwA
カエルの王女さま、終わってしまった。(T_T) 最後に歌った「風になりたい」は、天海祐希にとって特別な歌なんだよね。
— yumi (@nekonotsumetogi) June 21, 2012
『風になりたい』は、天海さんにとってもファンにとっても特別な歌なんだね。
天海祐希の伝説やエピソード
宝塚時代の天海祐希さんには伝説やエピソードが数多くのあります。
その中で有名なものを3つ紹介しましょう。
入団わずか6年半で男役トップスターに就任
天海祐希さんは1987年に入団した同じ年に、初舞台で雪組公演『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら』に出演しました。
その後は月組に配属され、10か月後に新人公演で主役に抜擢されます。
ここからわずか6年半で男役トップスターに駆け上がりました。
宝塚で男役トップスターになるまでは10~13年かかるといわれているなか、異例のスピード出世ですね。
この史上最速ペースの記録は、いまだ破られていません。
【天海祐希】の宝塚伝説
— あやれいこ♦︎ (@AyaReiko__31_95) July 27, 2019
・音楽学校主席入学
・宝塚関係者に「よくぞ産んでくださいった」と言われる
・新人公演(入団1〜7年目の生徒が1日本公演を演じる)で入団10ヶ月で主役
・初舞台から6年半でトップスター(男役10年と言われている。異例の速さ
・全然老いない
・多分不老不死(この二つは個人的感想 pic.twitter.com/HkWLrKc6cY
スピード出世!これは確かに伝説級だね!
トップスターの証である「羽根」を背負うことを拒否
宝塚のフィナーレといえば、トップスターが背中に羽根を背負って大階段を降りてくるシーンが印象的ですね。
こちらの羽根は全長約2m・重さが10㎏以上ありますが、宝塚歌劇団では「羽根の重さは責任の重さ」とも言われているそうです。
しかし天海祐希さんは「仰々しい羽根を背負うのは嫌だ」と羽根を背負うことを拒否しました。
目立ちたくなかったという本人の強い意向があったようで、おそらく上級生や周囲に対してかなり気を使われていたのでしょう。
結局、サヨナラ公演のフィナーレでも羽根を背負わず、幕を閉じました。
宝塚、ハマればハマるほど当時の天海祐希さんってどれほど凄かったのだろう?と思う。
— なつこはん🍊 (@NW_KIS_KTN) May 20, 2022
入団10ヶ月で新公初主演、6年半でトップスター就任ってとんでもないよなぁ…
そしてサヨナラ公演で大羽根背負わなかったって衝撃😨
エピソードが規格外すぎる😫💦
高画質の写真集とか、ないかな…🥺
昔からの慣習に流されることなく自分の意志を通すのって勇気いるよね。
宝塚音楽学校で男役の「予科ピン」を廃止
2017年11月17日放送の日本テレビ系『ウチのガヤがすみません』では宝塚後輩の彩羽真矢さんから、天海さんのエピソードが語られました。
宝塚音楽学校では後輩を指導するために先輩たちが指導要綱を作成しますが、いくつかのルールを天海祐希さんが変えたそうです。
その一つが「予科ピンの廃止」、廃止したのが天海さんであると後輩たちの間で語り継がれています。
宝塚音楽学校1年目は予科生と呼ばれますが、そのとき髪の毛が短い男役の生徒は、髪がはねないように何十本ものヘアピンで留めるという規則があり、その規則を「予科ピン」と呼んでいました。
天海さんは仲間との話し合いのなかで「予科ピンはあまりにも外を歩くのが恥ずかしいから、ここまでしなくていいのではないか」と訴えて規則撤廃となりました。
もっとも天海祐希さん本人は「73期生のみんなで変えた」と言っているようです。
#ウチのガヤがすみません
— みぃちゃん@草組ウォンバット (@mymelody_miiko) November 8, 2017
⑤天海祐希さんが宝塚時代にされた「予科ピン廃止」について、伝説を語る #彩羽真矢 さん😊
伝説は本当でした(*´꒳`*)
天海祐希さんって本当に凄い方なんだなぁ✨ #チャミ さんが伝説について説明している間、とても暖かい眼差しでお話を聞いてくださる天海祐希さん😊 pic.twitter.com/6gtc5iezV1
天海さんは宝塚の後輩にとってもヒーローだ!
まとめ
天海祐希さんの宝塚時代はいかがだったでしょうか?
天海さんは宝塚時代の土台や経験があったからこそ、現在は芸能界でも目覚ましく活躍されているのでしょう。
ここで本記事のまとめです。
- 宝塚を目指すきっかけは中学の担任
- 入団わずか6年半で男役トップスターになる
- トップスター後わずか2年の退団の理由はさまざまな要因
- 宝塚時代は数々の伝説がある。
もともと東京下町育ちの江戸っ子気質ということもあって、曲がったことは嫌いな一面を見ることができました。
人一倍気遣いもでき、言うべき時はしっかり言える天海祐希さんは素敵ですね。
今後も天海祐希さんの活躍を応援したいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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